いざ始めてみると予想通り、いや予想以上に大変だった。
首都とキャズウェルを結ぶ陸路を旅する最中の私が園芸をやるには、可搬式の鉢植えが必要だ。しかし、持ち運べる物はどうしてもサイズが非常に小さくなってしまう。となると、育てる花も小さいものになってしまい、その扱いも非常にデリケートなものになってしまうのだ。園芸初心者の私が、デリケートな植物を育てられる自信などあるはずがない。かといって、大きくなりそうな植物を小さい鉢植えで育てるのも可哀想だ。そういったことを考慮して私が選んだ花は“ヘンリエッタ”。小さな釣鐘状の青い花を咲かす多年草だ。その花が夜にはぼんやりと青白く光ることから“小人のランプ”などとも呼ばれている。早速立ち寄った小さな村、カズンの雑貨屋で小さな鉢植え、ジョウロ、堆肥、そしてヘンリエッタの球根を買って、小さな妖精の日用品を作り上げることにしたのだ。
本当に大変だったのはここから。誰かさん1号は一日に二回でいいというのに、私の目を盗んではジョウロで水をやろうとするし、誰かさん2号は植えたその翌日に「芽が出ないじゃないか」とか言いながら堆肥を乱暴に振りかけるし。鉢をひっくり返しそうになったり、芽が出てないと掘り起こされそうになったりなど、冷や汗をかいた瞬間なら枚挙に暇がない。二人のお守りには、非常に苦労させられた。
とはいえ、園芸が大変でなかったわけではない。最初使った土は水はけが悪く、一日中水溜りが出来たままだったり、日当たりの良い場所で放置しすぎて土の水分が飛んでしまっていたり、逆に日に当て忘れてたり――慣れない挑戦にいくつもミスを繰り返しながらも、植えてから7日目の朝、とうとう緑の芽が小さな大地から顔をのぞかせてくれた。雑草と見紛いそうになるその小柄な姿は、ぴんと背筋を伸ばし、生き生きとしていて、私は思わず頬が綻んだ。その喜びがあってかそれからは大きなミスもなく、誰かさん1号2号の妨害も撥ね退けて、この緑の子供の面倒を看ることができた。
そうするうちに今朝方到着したのは、キャズウェルから二日の距離にあるこの村、エイドス。東南部特有の蒸し暑い気候で青々と育った木々が村の周りを囲っており、その緑を背景にシックな民家が映える。ゆらゆらと歩く馬や、はしゃぎまわる子供、鍬を振り上げる老人らが村ののどかさを演出していた。ここが今回の旅の最後の中継地点だ。ここを越えて二日ほど馬車で移動すれば、首都ほどではないにしろ、漁業と輸送、土木と林業で栄えた街キャズウェルに到着する。キャズウェルに着けば、旅も一区切りついたと言えるだろう。ゆっくりと身体を休めることが出来る。私も、ヘンルも、ザントも、そしてこの子も。
こじんまりとしたレンガ造りの宿場「星のゆらめき亭」に届けを済ますと、私はよく日の当たる窓際に鉢植えを置いて、可愛らしい葉っぱを指で少し撫でた。張りのある手触りを感じて、ちょっと嬉しくなる。
「じゃあ、私達でかけてくるから」
ザントはかねてから旅着のマントを新調したいと言っていた。ヘンルは言わずもがな、食料調達だ。きっと服屋ではヘンルがザントの服選びに首を突っ込んで騒がしくなることだろう。そして市場では好きな食べ物ばかり選ぼうとするザントのわがままに、ヘンルは困るのだろう。思わずこみ上げた笑いを喉の奥へ飲み込んで
「ああ、行ってらっしゃい。私も少ししたら出かけるよ」
窓際の壁にもたれかかって軽く手を挙げた。
「戸締り忘れずにね」
手を振るヘンルはザントと共に扉の向こうへと消える。ふ、と小さく吐息を空へ投げ出して、私は壁にもたれたままずるずると腰を下ろした。板張りの床はちょっとだけひんやりとして気持ちがいい。何気なく瞳を閉じて、私は久しぶりに思考の海へと飛び込んだ。
園芸を始めたことで、何かが掴めた気はしない。確かに楽しくはある。けれどそれは、思考に浸る時間を薄めているだけのことで、生きることに対しての根本的な虚しさは、解消されるどころか増す一方だ。生き生きとした芽を見るたびに純粋な喜ばしさは、暗い嫉妬心に削られてゆき、またそれが自分にも慰めになっているあたりがなんとも救いようがない。どうしても対比してしまうためか、心の安定は園芸を始める以前よりもずっと揺らいでいた。
かといって今更辞める事なんて出来ない。途中で投げ出して笑えるほど器用な生き方を出来る人間なら、そもそもこんなことで悩んだりもしないのだから。そんな人間に生まれたかったとは微塵も思わないけれど。
「――出かけてくるよ」
うだうだ考えるのはやめよう。それを思考のくぎりにして、ヘンリエッタに声をかけた。行き先は前から決まってる。農産系の資材の充実した雑貨屋だ。もっと色んな物資と知識が必要だから。
私はテーブルの上でちかちかと太陽に反発している鍵を無造作に握り締め、部屋の扉をくぐっていった。
「そうかい。園芸をね」
旅する身空で大変だね、と雑貨屋の店主はにこやかに笑った。
「何か、良い物あります?」
「そうさなぁ。これなんかどうかな」
アタシが作った栄養剤だよ、と彼は自慢げに話した。自然材料ばかり使ったから格段に効くというわけじゃないが、その分副作用に悩む必要は無いとか。アドヴァンティジよりもディスアドヴァンティジのほうが怖いのはもっともだから、こういうものの方が私には向いているかもしれない。
「じゃあ、それください」
気のいい返事を返した店主は、丁寧にそれを包んでくれた。挨拶もそこそこに、私は店の扉をくぐり、外へと出る。
突如、全身の肌を刺激したのは強烈な違和感だった。空の色も、木々の色も見た目に変化などないのに、私の感覚の中ではどす黒く塗られたように感じる。その違和感の元を確かめる前に、それは確信へと変わった。
鼓膜を強かに打ち据えた女性の絶叫は、左手から一瞬だけ迸り、唐突にぶつりと途切れた。断末魔の悲鳴だったことは想像に難くない。逃げ惑う村人、倒れる老人。その老人の喉笛を食いちぎり、屍を越えこちらに走り寄ってくるのは東南部ではそこかしこで見る犬型モンスター、ケルベロスだ。数は、5匹。
最近、モンスターが突然大量発生するという報告をよく耳にしていた。どこかの悪魔が扇動しているなどという噂もあるが、詳しいことは分かっていない。まさかそれに自分が遭遇するとは。
明らかに私への殺意を露呈しているケルベロスだが、例え10匹居ようともこんな雑魚にやられはしない。私は魔物もかくやと言わんばかりの憎悪で脳裏を塗りつぶし、魔法陣(サークル)を描き、詠唱(スペリング)を開始する。
「凍てつく者よ、来い!アイスミサイル!」
空中に突如として現れた5つの巨大な氷弾は、0から最大速度へ一瞬で加速し、大気を引き裂いた。こちらへ直進するケルベロスたちはろくな回避も取れぬまま、5匹とも涼しげな弾を眉間に受ける。小気味良い音と共に、犬どもの頭部は爆砕した。脳漿と血が空気中へばら撒かれ、緑の風景を白と赤で彩る。銜えていた老人の頭も一緒に吹っ飛んだが、いずれにせよ死んでいるのだから問題ないだろう。勢いがついて足元まで滑ってきた肉の塊を憎しみを込めて蹴り飛ばす。足元から上げた視線の先には既にタランチュラの団体さんが私へ行進を開始していた。一匹一匹はタンスの上で巣を張る、可愛げな節足動物の形と変わりがないというのに、図体は犬よりでかいとは一体どういう了見なのだろうか。どちらにせよ、あの牙で噛まれたら絶命は必死だ。描く魔法陣(サークル)は三角形(テジャス)、紡ぐ詠唱(スペル)は力強き炎の詞。
「司るは炸裂の命!砕けんばかりに火よ!荒れ狂え!ファイヤーボール!」
鼓膜を焦がしたのは鮮烈な爆音。タランチュラたちの中心で発生した炎は砕け広がり、大地は大穴を穿たれ黒く焼け焦げる。体内まで浸透する灼熱の魔力と地面に亀裂を与えるほどの衝撃はタランチュラの全身を焼き尽くし、叩き拉いだ。勝利を確信する光景だが、蜘蛛の体液が燃え、ひどい悪臭が立ち込めたため、ファイヤーボールを使ったのを少し後悔する。
「ああもう、気持ち悪いな!」
吐瀉物の代わりに罵声を吐き捨てて、私は宿屋の方へと全力で駆けていった。
こんばんわ。陸堂です。
ほんとは前・後編で終わらせるつもりだったのですが、中編を作りました。
プロットが変わって長くなったわけでも、思ったより文量が増えたわけでもないです。
いい加減あげとかないと某女性戦士に殺されそうだからです(酷
今週中に後編頑張れるかなぁ・・・( ´・ω・`)
陸でした。